
来に向かって歩むべきだ。マレイシアも戦争中被害を被ったが、わが政府は自国民が(日本に対して)補償を求めるようには勧奨しない。50年前のことをいえば、100年前、200年前のことも問題となり、結局は植民地宗主国に対する補償問題になりかねない。日本の安保理常任理事国入りを支持する。アジアの平和と繁栄のために、すべての役割を担ってほしい」と述べた。 先生と生徒の会話以外の何ものでもないではないか。このやり取りを思い出して、マレイシア人は日本人がすべて村山首相並みの人間ではないかと見下したのではないか。このような疑問が雲のようにわいてきた。 翌日、30分の持ち時間をもらって日本の防衛政策が直面する問題を説明し、日本はこれからカネだけでなく、他の分野でもできるだけ国際的に貢献するよう努力するのだとの趣旨の主張をした。ところが、シンガポールの某大学教授から、私のプレゼンテーションには戦前の反省がないではないか、日本が積極的な役割を果たすというが、軍事大国化の心配がないかどうか、米国のいいなりになっている日本には自主性がないのではないか----といった質問がなされた。戦前の反省云々については議長だった伊藤憲一理事長が異例の発言を求め、鋭い反論をしてくれたのでホッとした。 最後に私にも発言が許されたので、「戦後日本の外相、首相が謝り、天皇陛下は中国と韓国について遺憾の意を表明されたのに、私に謝罪を求めてどうする気か」「軍事大国化などと軽々しく言うが、何を根拠にしているのか。シンガポールの指導者、リー・クアンユーは日本が日米安保条約を維持するかぎり、軍国主義を復活させる可能性はないと一貫して述べているではないか」「マハティール・マレイシア首相は村山首相に対し、過去は問わぬと寛大な態度を取った。同首相を尊敬する日本人が多い理由はここにある」などと述べた。 びっくりさせられたのは、発言者がとくに興奮するわけでもなく、淡々とキツイことを口にする点だったが、そうなるとこちらもスラスラと率直な反論ができる。神谷、阪中、島田、山田、金子といった日本における第一級の論客もそれぞれのお立場から見事な主張をされたと思う。隣り合わせになったタイのジャーナリストが、「この日本からの一行のような強力な発言は珍しい」と感想をもらしていたが、お世辞ではなかったと思う。 2日間の討論を通じて私なりに感じたのは、日本以外の出席者の発言が日本や米国にはむしろ批判的であり、中国に好意的だったのは何故だろうということであった。中国は一党独裁の政治体制を取っており、米国が「テロリスト国家」とのレッテルを貼った国々に平気で武器や技術を売り、人権については周知のとおり決して寛容ではない。台湾に対しては「文攻武嚇」の圧力を掛けている。こういった疑問に対してはガザリ氏が「アジア人にばアジア人流のやり方があるので、中国を含めて仲良くやろうということだ」と極めて大ざっぱな回答をしていた。
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